インターネットで間違うのが難しい
2023-12-08
それなりに付き合いの長い友人から「 LGBTQ+ を表明する人は我々に何を求めているのか」「それを聞かされてどうすれば良いのか」「何をすれば配慮したことになるのか」と言われ猛省したことがある。
政治・人権、LGBTQ+ の話題とかセクシャルハラスメントの話題、SNS で見かけたとき瞬間的に「触れたくない」と感じる話題、て、恐らく「間違うと燃やされやすい」話題なんじゃないだろうか。
目の前の相手を加害しようという明確な意図を持って上記の話題を出す人ってさほどいないと思うが(希望的観測)、話題にすると面倒くさい … と感じている人は結構多くいると思う。と言うか正直、自分も思っている。何故ならこれらは「無意識で悪気がなくても "間違った" とき "怒られ" が発生する」、「こんなヘイターがいるぞ」とフルボッコにされる確率が高い話題だからだ。「無難」に「中立」を表明したり話題へ触れずにいたら「無関心だって加害だ」みたいなこと言われたり。
それで、以前の自分はわりと「無意識の」「悪意のない」言動へ対しても怒りを表明するほうだったのだけど、この態度ほんとに良くないな、と冒頭のやり取りで初めて思い至った。自分だってインターネットで、対面で、散々間違えて、失敗して「半年 ROM ってろ」とか言われて育ってきたのに、インターネットの特に SNS で、突然、眼前に現れた(ように見える)LGBTQ+ の当事者だとかに「間違いのない・失敗のない言動をしろ」と詰められるわけですからね。「よくわからんから "地雷" を踏まないように気を使います」でしかない。
インターネットも対面の対人関係も、もっと、間違えられる・失敗できるべきだよなあと最近思っている。社会的マイノリティは、1人の「一度の失敗」× 100 人分… 1,000 人分… 踏みつけられている … というのは、それはそれで必要な視点だけど、もっとミクロというか対個人の対話がなされてほしく、互いにああ間違えたな、失敗したな、を繰り返しながら人間関係を構築したい。属性や政治的立場がどうこう以前に、あなたの友人のどどさんですから … と思っている。対話したいと思っている相手には、嫌なことは嫌って、怒りではなく、単なる事実として言うし、というか自分も言ってほしいし。LGBTQ+ への理解とかいらなくて、人間関係を築く目の前の相手をどこまで理解するかって話でしかなく。
インターネットは、個人の失敗に寛容にならないといけなくて、「政治・性別・思想」の話題の「面倒くささ」「気難しさ」「触れたくなさ」って、多分そういう対個人の枠を超えた、対属性・界隈になってしまったがための「間違えられなさ」なんだろうなと思った、という話。
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