2025/06/25 思惟

2025-06-25

ある日の船釣りで、水面がスッと青く宝石のようにキラキラと美しく輝いていて、大変感激したことがある。

東京湾の内湾だ、普段はどんなに晴れていても沖縄の海のように青く輝くことはないし今日はいったいどうしたのだろう。こんなに美しいなんて、と思わず同行者に声をかけた。しかし何となく鈍い反応に、何故だ、こんなに美しいのに、と首を傾げ「あ」と気付く。自分は偏光サングラスをかけていたのだ。

特に安価な偏光グラスは、俗に「青抜け」「赤抜け」と呼ばれる現象がしばしば発生する。裸眼の可視光線透過率を 100% とすると、そこからどの程度の光をカットしてくれるか?が偏光グラスの性能になってくるのだが、物によってはこの可視光線透過率が高く、取りきれない波長帯に含まれる色が際立って見える。それがレンズの製造工程や素材によって、青く見えたり赤く見えたりする。
つまりわたしは安いサングラスを通して見た紛い物の景色に大いに感激していた間抜けだった。

何だか少しガッカリしたのだが、しかしそれでもいま眼前に広がる大海原は宝石のように青く光り輝いていて、やはりこのきらめきはとても綺麗だと感じる。
いつまで見ていても飽きず、その宝石の隙間をトビウオなどが縫うように飛んでいく。どうしたって美しく見えるこの色に震えるわたしの心は、同じように偽物なのだろうか。文字どおり単なる色眼鏡なのだろうか。

まあこんなことは、ベンヤミンの「アウラの喪失」なんかで陳腐化するほどに議論されてきただろう。
そのとき動いた感情・心は「本物」だ、みたいに言われたのだろうし、逆に「偽物」に感動しモノごとの見方を誤るような態度が、これまでどれほどの分断を生んできたか、みたいな更なる議論もあっただろう。今更、真面目くさって考えるようなことでもない。別に今なにか、結論を出そうというわけではなく、万華鏡を覗いて美しいと思う気持ちと同じようなものなのだし。

そんなことを船上でつらつらと考えながら「釣りくらい無心で出来んのか」と雑念の多い自身に呆れたりした。この日の釣果はシロギスが 2 匹だった。
釣りも思考もへたくそだ、惨敗。 

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